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精華園について

 精華園は、木曽・飛騨川の合流点 美濃加茂の台地で、自然を大切に 「安心・安全」「真心」をこめた
梨・柿作りと販売をおこなっています。
 朝取りのみずみずしい梨、甘みあふれる柿を直接お届けいたします。山之上の豊かな台地で育った甘みも充分な梨・柿を是非ご賞味下さい。

 精華園は、100年ほど前の大正時代に開園。現在の果樹王国山之上の先駆けとなり、柿を中心とした果樹栽培に乗り出したのが、 当園の創業者(佐口 佐太郎)です。
 創業当時より、安心して美味しい梨・柿を召し上がっていただけるよう、品質を向上させる努力をし続けています。

 ■山之上果樹栽培の歴史■

 明治時代、山之上村の上野地区は、上野ヶ原といわれ、海抜140メートルの広漠とした小松原の原野で、 土壌は、赤色粘土質のやせた土地であった。
したがって、農地としては利用されず、旧陸軍岐阜部隊の演習地となっていた。
 大正13年3月、山之上村の佐口佐太郎(当園創業者 当時25歳)が、1町歩余りの土地に坪起こし、柿の新植を始めた。 翌14年には5名が続いて入植し、果樹栽培を行った。
 昭和5年春、大霜の害があり、各地の果樹栽培地帯は大被害をうけたが、 山之上は地勢上その害が少なかった。新聞にこのことが掲載されると、 入植希望者が急増し、10年後には、上野地区は64戸となった。 当時は、各自が自転車で多治見・犬山・関・太田などへ木箱にし て運搬し、売りさばいていた。また、7年秋には、東京市場へ柿が初出荷された。
 梨は、昭和7・8年ごろから新植され、品種は長十郎・20世紀の2種類から開始された。 今では、梨の生産量が県内1位の果樹王国山之上となった。
          「美濃加茂市史(通史編)」より

スタッフ紹介


 現在、3代目夫婦と4代目夫婦の4人 (+ちびっ子スタッフ2児 と ばあちゃん)で梨・柿作りと販売をおこなっています。
 最盛期には、兄弟・親族も加わり、一家総出で収穫に追われます。

四季の作業

■春


 梨園の春は開花で始まります。松島、長十郎、豊水、幸水の花から花粉を取り、梨が自家受粉しないため人工交配を行います。確実に受粉させるため、少しでも良い実ならせる為にとても重要な作業になります。この時期の2週間ほどはとても忙しい毎日です。その後マッチの頭くらいの時期から摘果作業をします。摘果作業が済むと袋掛けをおこないます。柿は梨の摘果作業が終了した後に1週間ほどかけて摘果作業をします。

■夏


 春先から防除は始まり、石灰硫黄合剤やボルドー液など防除回数にカウントされないものを使用し全体の回数を減らすよう努めています。薬剤の倍率も高くして薄めの防除に心がけています。7月の初旬は幸水では来年の準備が始まります。来年慣らせる枝を倒す「誘引作業」に1週間ほどかかります。誘引作業は来年の枝に花芽を多く付かせる為に行います。暑い中少々つらい作業です。 8月の中旬からは幸水の収穫が始まります。

■秋


 豊水(9月)、新高(10月)と収穫が続きます。10月には堆肥や土壌改良材の施用を始めます。11月は冨有柿の収穫、梨には元肥を施肥し、中旬には最後の品種「愛宕」を収穫します。

■冬


 翌年まで梨、柿の整枝剪定を行い、剪定後には害虫(ダニ)とか病気の菌が越冬場所をなくすための、そ皮けずり行います。